福井にまつわる歴史上の人物ファイル
福井県の継体天皇 継体天皇(けいたいてんのう)
5世紀後半?〜6世紀前半?
母方の実家のある越前の高向(たかむく)で育った越前出身といわれる天皇(日本書紀)。在位中には北九州で起こった磐井の乱を平定。越前での業績についても、治水などで多くの伝説が伝えられています。
福井県の柴田勝家 柴田勝家(しばたかついえ)
?〜1583


織田信長に仕えた有力な武将。1575年信長が越前一向一揆を滅ぼしたあと、越前国内8郡の支配を委ねられ、現在の福井市中心部にあたる北の庄に壮大な天守閣を築きました。信長の死後、後継者をめぐって羽柴(豊臣)秀吉と対立しましたが、戦いに敗れ1583年お市の方とともに北の庄で自害しました。

福井県に住んだことがある紫式部 紫式部(むらさきしきぶ)
973?〜1014?


「源氏物語」「紫式部日記」の作者として有名な歌人。物語作家。彼女の父藤原為時が996年に越前守に任じられ、父とともに越前国府(武生)に入り、約1年数ヶ月を越前で暮らしました。慣れない越前での雪国の暮らしや旅路の歌を残しています。

福井県の松平春嶽 松平春嶽(まつだいしゅんがく)
1828〜1890

福井藩16代藩主松平慶永。幕末の福井藩の財政復興や人材育成に努め藩制改革を推進。国政においても、15代将軍徳川慶喜の補佐として幕政の改革に尽くすなど、その中心を担いました。維新後も議定、大学別当などを歴任しました。
福井県の永平寺開祖道元 道元(どうげん)
1200〜1253

曹洞宗を開いた鎌倉時代の禅僧。宋(中国)において禅を学んだ後帰国し、1243年越前志比庄地頭の波多野義重の招きで越前に入り修行。越前入居の翌年に大仏寺を建て、2年後に永平寺と改称しました。この間、道元は「正方眼蔵」の著述などを行っています。
福井県の橋本左内 橋本佐内(はしもとさない)
1834〜1859

幕末の福井藩士。15歳の時著した「啓発録」が有名。大阪の緒方洪庵に師事して蘭学(医学)を学びました。藩主春嶽の命により、国政においても世界的視野を持って外交問題や将軍継嗣問題で活躍しましたが、春嶽と対立した大老井伊直弼の弾圧(安政の大獄)により26歳の若さで死罪に処せられました。

福井県で討ち死にした新田義貞 新田義貞(にったよしさだ)
1301〜1338

鎌倉時代末から南北朝時代の武将。鎌倉幕府滅亡の際に鎌倉を攻略、建武の新政においては後醍醐天皇に重用されました。その後、後醍醐天皇の南朝側の中心的武将として、足利尊氏(北朝側)と対立。足利方と越前平野で壮絶な戦いを繰り広げ、現在の新田塚で戦死したといわれています。

福井県の梅田雲浜 梅田雲浜(うめだうんぴん)
1815〜1859

幕末の小浜藩士。朱子学を学び、藩政や海防策に関して藩主にたびたび意見したため、小浜藩を除籍され浪人に。生活困難ながら、尊皇攘夷を唱え、志士の指導者となり、吉田松陰らと攘夷のために奔走。このため、安政の大獄で逮捕されました。貧しいなか妻子を失いながら志に生きた一生は有名です。
福井県の蓮如 蓮如(れんにょ)
1415〜1499

浄土真宗本願寺派の僧侶で第8世宗主。当時不振だった本願寺を興隆した「中興の祖」。1471年越前におもむき、吉崎(あわら市)を布教の本拠としました。蓮如の吉崎での布教活動は5年の短期間でしたが今日北陸が「真宗王国」と呼ばれる基礎を築いたといわれています。
福井県の岡倉天心 岡倉天心(おかくらてんしん)
1862〜1913

明治・大正期の美術思想家。越前福井藩士岡倉勘右衛門の二男。アメリカの東洋美術史家フェノロサの日本美術研究を手伝った天心は、1889年東京美術学校(現東京芸術大学)の校長に就任、横山大観や菱田春草等に大きな影響を与えました。また、「日本美術院」を創設し、近代日本画の創造に尽力するとともに、渡米して「茶の本」などの英文著作により東洋美術の紹介に努めました。
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